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忘れてはならない看護の本質

投稿日:2006/04/23

 私の現在の職場は、外科病棟。各々の看護師の志も高く、敬服する毎日である。インセンティブ(学習意欲)もさることながら、知識や技術も今の私などは到底及ばない。しかし、残念ながらこの病棟、いや、この病院さながらの問題もあるように思う。
 毎日が、知識術に対する学びの姿勢が前向きに感じられ、私自身もその必要性に駆られ、自分のペースではあるが何とか追いつこうと必死である。精神科から外科というまったく畑違いの職場に変わったために、もちろん指導もされる。指導にも色々な方法があろうが、私の視点から主観的に心地よく意欲の湧く指導、また感触が悪く意欲が湧くどころかその人の人間性を疑いたくなるような指導もある。指導に関しては、私的感情が入り自己満足の快感を得ようとする者がいても当然であるが、もう少し客観的に指導している自分を振り返ってはと一言言いたくなったりもするが・・・。
 指導する側の人間のレベルはさておき、今日触れておきたい話題がある。その指導してくださる看護師も役職についている人間。知識も豊富で学びどころ満載である。しかし、その人をはじめ病棟全体を見渡したとき、この看護技術レベルにそぐわないレベルの存在に気付く。

※患者に安心感を与える関わり

である。単純にはコミュニケーションといっても良いかもしれない。当病棟の看護師は、知識と技術を身につけることばかりが先行し、【患者への安心させる関わり】を忘れているようにもみえる。確かに、Dr.に意見することができるような知識と技術を身につけるということは、一部私も求めていた環境ではある。しかし、以前の職場(精神科)で重要視されていた患者との関係・関わりがどうも希薄に感じられる。血液データや心電図他、患者情報をもとに患者の変化をいち早く発見し、優れた分析力の元にその患者に適した看護を提供することは、とても重要なことである。しかし、そういう病態の環境下にある患者との関わりで安心感を提供することは、それ以上に重要かもしれないということを私は声を大にして言いたい。
 ターミナルであったり、高齢で今後どうなるかわからない患者、また、突然の病態の変化の時などで不安になっている患者にどのように関わるか。これこそが

※忘れてはならない看護の本質

ではないだろうか。

これは看護師と患者間の『時間』の長さではない、その限られた時間の中での『質』にある。多くの看護師は、コミュニケーションの『時間』を作ることに悩み苦しみ、現職に対しての疑念さえ抱く。だが、その前に、限られた時間の中でのコミュニケーションに対する『質』を忘れてはいないだろうか。体温を測定するときに無言で測定するのか。採決や吸引処置前後その外、一瞬一瞬で患者との会話の時間は万とあるではないか。私はこのことを全国の看護師に伝えたい。

 
 今の私に圧倒的に足りないもの、それは外科病棟に求められる知識と技術である。これは、数年かけても必ず獲得する。その過程でも、今まで培ってきた看護師としての患者への関わりは、後回しにすることなく取り組んでゆきたい。