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今問われる責任能力

投稿日:2006/06/13

巷では、幼児殺害事件などが相次いでおり、いわゆる“触法患者”に関する事件は影を潜めている。だが、精神科疾患に罹患している犯罪者であってもそうでなくとも、加害者には責任能力というものが問われる。簡単にいうと“責任能力”は刑罰を課すかどうかの基準となりうるものである。

私は、この責任能力という基準に大きな疑問を感じる。検事も弁護士もこの“責任能力”を争点に裁判を行う。責任能力には、

※刑法上の責任能力
※民法上の責任能力

などがあるが、いずれも心神耗弱状態にあるものなどは減刑、心神喪失状態にあるものには不起訴とされる。

 しかし、“責任能力”についての問答を現行法のまま通し続けてよいのかとの疑問を持つ。実際に、現行法が変更されないまま凶悪事件が起き矛盾が生じてはいないか。判例として責任能力という枠が狭くなっており、精神科疾患を持った救われるべき人間も罪として問われていないだろうか。
 当然、責任能力という言葉は、ある程度定義されている。だが、法廷でその有無を争わなければならない程度の曖昧な定義だ。だいたい、責任能力などどうやって測定できようか。弁護士や検事が理屈を並べあい、どうやって裁判官の心をつかむかにかかっている。こんなばかばかしいものなどあるものか。現に、弁護士側の精神科医と検事側の精神科医の見解が真っ二つに分かれることが多いのをみると、その曖昧さが良くわかる。責任能力など、精神科医とて測定できるはずがないのだ。 
 よく議論されるところに、
「わが子が、心神喪失状態の凶悪犯に殺されて無罪とされたらどう思うか」
というものがある。完全に責任能力がないとされても、親は納得がいかないだろう。では、心神喪失・心神耗弱状態にあるものにも全て刑罰を処するというのはどうか。これに賛成するものがおれば、是非意見をいただきたい。
 これらは、論点が刑罰を科す精神状態の基準である“責任能力”のみにあるために生じてしまっている議論である。上記分断された2論を見てわかることは、責任能力のみに焦点をを当てて論じることは感情論が割って入り込み、正常な議論ができなくなってしまうということである。このような議論は、正常な判断を見失うため、決してあってはならないことである。

重要なことは、

※現行では曖昧な“責任能力”(これはいずれ改定する必要がある)の判断に加え、犯罪内容を鑑みた上での加害者の“実行力”を見極めること

である。


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