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看護とは何かを知らない医師達
タイトルをみると、また越智は喧嘩腰かとお思いの方もいらっしゃるかもしれない。残念だが、今回はそうではなく、医師も医療文化が生み出した産物であり、被害者であるという観点から話に入っていこうと思う。
私がいつも口にする“病棟業務の効率化”
これを円滑に推し進めるには、医療チームの団結が不可欠。しかし、お互いが何かを知らずして団結などできるわけもなく、人間関係的に何とか円滑でも、そこには限界が生ずる。
※医師が看護とは何かを知らないのである
看護というものは、直接的な看護業務のみならず、色々な概念が点在する。私一人においても、色々な観点で看護を論じているのに、看護師全体となると相当の捉え方があるに違いない。また、看護は現行の“診療の補助”という保助看法のみの概念だけでは、通用しなくなっている事も事実あり、看護師自体も看護というものを捉えにくくなっているとも言える。そこに、治療を主とする医師が介入するとなると困難を極める。
医師には医師の特殊性があるのと同じで、看護にも特殊性がある。それが、時代とともに変遷し看護の概念が深められてきている現状、一目で看護を把握できるわけもなく、こちらも看護を簡単に教える事すら困難な領域になりつつある。その特殊な枠組みを持った、医師と看護師がチームワークを強めるということは、言葉ではよく言われるが実際は貧弱なものであると私は断言する。
医療チームの協力体制を強化するには、まず、お互いの業務とその質の深さを知ってもらう必要がある。
ことに、看護業務においては個人プレーの暴走は、医師の場合のそれよりも多大な影響を及ぼす。医師には、まずそこから理解してもらわなければならない。医師の行動一つで、看護チームが振り回されるというのも日常よくあること。医師の行動一つについても自ら理解してほしいものである。医師としての“質”だけではなく、医療チームとしての“質”にも眼を向けた場合、診察の仕方、処方の仕方だけでも大幅に変わってくるはずなのである。
※私達は“看護とは何か”を知らない医師が多数存在するということを自覚すると同時に、“医師とは・医療とは何か”を知ろうとしない私達もそこに存在するという事を自覚すべきである。
多文化をいきなり融合しても、衝突が起こる事は国際情勢を例に見ても明らか。双方の文化を理解する為の何かを始めないと同じ地域に住む多文化民族としては決して円滑にはいかない。文化を無理に融合するとそこには差別や紛争が起こるのと一緒で、医療チームもただ緊張感の漂うだけの腐りきった空気の医療チームが出来上がる。
医療チームの問題は、国家・民族間の文化的多元主義の問題よりも容易でありながら、そういうヒントを活かしきれていない。今回の話をきっかけに、病棟改革・病院改革に着手する際は、この考えを頭の隅にでもおいて取り掛かってほしいものである。
最後までご閲覧いただきありがとうございます。拙著本「精神科看護師、謀反」も看護の参考にしていただければ幸いです。