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政治に疎い看護師
もう、昨日になるだろうか。北朝鮮が核実験に踏み切った。そのニュースを受けて、私は、ますます北朝鮮の国家情勢は厳しくなるだろうと予測すると同時に、その国の国民達が更に飢えに苦しみ、十分な栄養や医療も受けられないことに拍車がかかるだろうと、何ともいえない複雑な気持ちになった。
私がいつも言っているように、看護は目先の患者を看るだけではない。
※同じチーム間であったり、ある空間を共有する人間であったり、更には、海を隔てて、見たことも無い、見ず知らずの人間に対してもその意識を持っておく必要があると私は考えている。
今回の北朝鮮の問題にしてもそうである。TV番組では、専門家達が最後の外交カードを切ったなどと、追い詰められた北朝鮮を論評しているが、現実では、一人また一人と人が死に、看護という看護もされず、助かるはずの命が次々と失われているはずなのである。
そういう環境の中にも、必ず職業看護師としての使命をもって、必至に看護している看護師もいるはずであり、そういう環境で闘っている看護師と連絡すら取れない私自身、とても歯がゆく感じてしまう。私が自分以外の看護師をどうにかできるのかという幻想を持つべきかどうかという議論もあるかもしれないが、少なくとも看護師をしている間は、そのような意識は持っていたい。
近々、北朝鮮に対して日本は何らかの制裁を、アメリカは空爆を含めどのようなオプションかを使ってくるはずである。
私のブログでは、政治色に染めたくないので、突っ込んだコメントは避けるが、世間の看護師には、病棟で苛立ちを顕著に見せた日常を送るのではなく、政治問題にも眼をむけ、そこには、一人の人間や私達と同じ医療者も存在しているということを改めて意識をし、その必要性から、政治問題に興味を持つようにしてほしいものである。
こう言っても、尚興味を持つことが無い看護師には、どのようにすればよいのか四苦八苦するところであるが、
※看護を柔軟的に捉えるには、政治問題にも眼を向けよ
とでもいっておこうか、
看護の柔軟性を得るには、政治問題に限らず、経済に関しても同じことが言える。そこで、手っ取り早いのが新聞だ。新聞は時々でも良いので色々と眼を通してほしい。内容は、医療関係にとどまらず見ること。医療関係者であるから、その部分しか見ないというのだけはやめてほしい。それは、医療という枠組みを勘違いしている証拠だ。
最後までご閲覧いただきありがとうございます。拙著本「精神科看護師、謀反」も看護の参考にしていただければ幸いです。