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精神科における内科的症状の見落とし

投稿日:2006/10/10

今日、相棒が自分の観察力のなさで、転院先で患者が亡くなったと言って来た。

聞けば、その患者は腎盂腎炎に水腎症を併発。更に肺炎も重なり亡くなったとの事。相棒は自分の看護力を責めていたが、仮にそこで一人の看護力が十分あったとしても内科的症状の見落としを十分防ぎきれるのだろうか。

確率の問題で議論するのは好ましくないのだろうが、一人の優れた観察力を持った看護師がいたとしてもそこには限界がある。患者の全体像を知るには継続した看護が必要となる。医療というものは交代勤務であるから、そこには総合的なレベルが求められる。さらに検査設備や施設の問題、最後には精神科の医師の判断が待ち構えているのだから、患者を救うには難関だらけである。一人の患者を継続してみるには、やはり総合して医療施設のレベルが維持されている必要がある。

このように精神科では、その特殊性から内科的症状を見落としている事が少なくない。これに反論する病院か医療関係者がいるのであれば、よっぽど優れた医師と看護師がいるのであろう。

精神科で看護する際、

「他科であれば助かっていたのに」
「早くに転院させれば助かっていたのに」

と思ったことは無いだろうか。これは、実に精神科に入院しているが故の出来事であろう。中小規模の内科病院その他でも、同じような事が無いとは言わないが、明らかにその頻度と程度が違う。

精神科では当然のように、精神科の看護師が患者を看護し、精神科の医師が診察する。夜間の内科・外科救急体制はあるはずもなく、その場で出来る限りの治療をする。治療という治療でもないが、医師の指示の下できる限りの事をする。ただ、拙著「精神科看護師、謀反」にもあるように、医師に意見する事ができない看護師が多く、また、精神科を専門としている医師は、その内科的判断が鈍いという現状は、ここ数年立ってもなんら変わっていない。

※注目すべき点は実にそこにある。

精神科の専門性というものを勘違いし、内科的診療や症状の発見を置き去りにする医師や看護師。患者が影響を受け、日夜失敗を繰り返しながらも、「仕方が無い」ですませられているこの状況を誰が打破するのか。

そこで、医師や看護師の精神科の専門性を高める為の一つの方策がある。

※単科の精神科の削減と、内科病棟併設の義務化である。

これが、精神科医療従事者の専門性を高める早道であると考える。看護の専門性は、そのトータルバランスにある。内科の知識が流入しやすいルートも確保でき、今よりも看護レベルは維持できる。そうする事で、私達看護者が精神科に勤めた場合も、自らの力のなさに泣く事は少なくなるだろう。

そこには医師や看護師数、また財源の確保など問題は山積しているが、時として私達は、医療改革を行う上で、精神科病院を別個のものとして考えてしまいがちである。その原因の一つに“単科の精神科”が精神科を取り扱う病院の中でも、今尚大多数を占めているところに原因があることは事実としてまず知っておくべきだろう。

最後までご閲覧いただきありがとうございます。拙著本「精神科看護師、謀反」も看護の参考にしていただければ幸いです。