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ハンセン病の歴史から見える精神看護とは

投稿日:2008/09/10

皆さんは、ハンセン病というのをご存知でしょうか。そこは、国立療養所長島愛生園。私も見学参加意思を示しておきながら参加できなくなり、急遽キャンセルすることになったのですが、他のNPOの役員と会員さんが予定通り参加し成果を残してきてくれました。

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聞けば聞くほど、参加したかったとうらやましく思うのだが、その前に・・・
今回のレポートを読んで、

私が心打たれた言葉


※「義を見て為さざるは勇無きなり」


この言葉。看護師として勤務している人たちはこの言葉を聞いてどう思うのだろうか。そして、あえて精神科で働いている看護師に問いたい。

・自分の日々の勤務の仕方
・患者とのかかわり方
・おなじ立場のスタッフとのかかわり方
・上司とのかかわり方


中には、どうでもよいという人もいるだろうが。
本当は正しいと思いながら、日常の惰性で仕事をしてしまっていたり、中には出世すれば変えられる。そう思っている人もいるかもしれない。踊る大捜査線でもそういう台詞があった。
しかし、私はそうは思わない。

※上に立って変えられる人は、上に立たなくても変えられる。それは、結果的に出世しただけである。
※下のときに変えられなかったのなら、上に立っても同じ程度のまま終わる。それは、結果的に出世したにすぎない。


方程式のようにいくわけはないが、私は往々にしてそうだと考えている。そしてそこには“努力”というものが大きく影響するわけだが、様々な努力の中に“座学”を軽視してはならない。

座学ばかりがすべてではない。そう口にするものもいるが、それは座学をこなした人間が言うこと。これは、すべての基礎となるものであり、絶対に必要なものである。でなければ、感覚だけの看護や看護管理をすることになる。



さて・・・・・、論語の話からそれてしまったが、ここでようやくハンセン病の見学の話を。以下、当NPO法人泉州精神看護研究会の役員である中尾公一がその気持ちを綴ってくれたので以下に掲載したいとおもう。貴重な見学とその意見なのでしっかり読んでいただければ幸いである。
ちなみに、画像にある写真は、長年にわたって不当に閉じ込められていた収容所と、意味もなく消毒され続けたクレゾール風呂の写真である。




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皆様は「ハンセン病」と言う病気をご存知でしょうか。

ハンセン病とは、1873年に原因菌(らい菌)を発見したノルウェーの医師ハンセン G.A.Hansenの名前にちなんで名づけられた、らい菌によって起こる慢性の感染症です。遺伝はせず、細菌の感染力も極めて弱い病気で、主に末梢神経と皮膚が冒され、知覚麻痺・神経痛などの症状のほか、特異な顔つきや脱毛、手指の変形もみられます。また、知覚麻痺から怪我などに気付くのが遅れ、手足に障害(後遺症)を残すことも多々ありました。

現在では、年間の国内発症数も数名程度で特効薬もあり、発症したとしても完治する病気です。

しかし、治療薬が無かった頃には不治の病として「恐ろしい伝染病・遺伝病」と言う差別や偏見を受けるばかりでなく、国による強制隔離をも強いられてきたと言う悲しい歴史があります。

驚くことに、戦後すぐに治療法が確立され、医学的に完治する事が証明されていたにも関わらず、なんと1996年の「らい予防法の廃止」までの長い間、ハンセン病患者の人権を無視した隔離政策は行われて来たのです。






詳しくはハンセン病に関するホームページ等をご覧下さい。



モグネット



ハンセン病のリンク集



国立療養所長島愛生園









今回、色々な経緯から岡山県にある、日本で最初の国立のハンセン病療養所、「国立療養所長島愛生園」を見学させていただく事ができ、現在も愛生園で生活されている金泰九(キム・テグ)さんに園内を案内していただきました。

金さんは、在日朝鮮人として日本でハンセン病を患い、1952年に収容され、その人生の多くを長島愛生園で過ごされた方です。

2007年にご自身の経験をまとめた「在日朝鮮人ハンセン病回復者として生きた わが八十歳に乾杯」(牧歌舎)と言う本を出版されていますので、

是非、読んでみてください。



※キム・テグさんの”テ”の字がパソコンの変換で出ません。金さんには失礼ですが、似た字を当てさせていただきました。









長島愛生園は、島全体が療養所施設になっています。

現在は、長島大橋と言う橋が架かって、島に車で渡ることが出来ますが、強制隔離が行われた当時、島には橋が架かっておらず、入所者は対岸から船で収容されたそうです。対岸から島までは最短で数十メートルしかありませんが、潮の流れが速く、泳いで渡ることは、手足に後遺症のある入所者には困難であり、逃亡を防ぐためには、島の環境が適していたためだそうです。

島中には入所者の住宅、医療施設、管理施設、看護学校、職員宿舎などが立ち並び、建物はきれいに整備され、小さなひとつの町と言った外観です。



金さんとは島内の管理施設の前で待ち合わせをしていました。

少し緊張していましたが、金さんはとても気さくな方で、快く案内を引き受けてくださり、すぐに緊張は解けました。



はじめに資料館で、ハンセン病と愛生園の歴史についてのビデオと展示物を見せて頂きました。資料館は、当時(昭和5年)のままの建物で、園長室には歴代の園長の写真が飾られており、机などは当時のまま保存されています。





その後、金さんも一緒に車に乗り、島内を案内してい頂きました。



各地から収容されたハンセン病患者は、岡山まで「お召し列車」と呼ばれる、患者専用の列車で運ばれ、駅からは専用車で、そして島までは船で収容されました。船に乗った入所者が着く「患者収容桟橋」や、桟橋に着いた入所者が初めに入る「収容所(回春寮)」を案内して頂き、収容時の金さんの体験談なども聞かせて頂きました。



入所者が島で初めに入る建物は収容所で、ここに着くと、所持品を全て広げさせられ、カメラや懐中電灯などの不用品、現金は全て取り上げられたそうです。現金は、逃亡を防ぐために園に保管され、昭和23年までは園内通用票と呼ばれるブリキの貨幣を変わりに渡されたそうです。

所持品のチェックが済むと、今度は「恐ろしい伝染病」と思われていたため、衣類は全てホルマリン消毒され、クレゾールの入った消毒風呂に入れられました。



この「患者収容桟橋」と「収容所」は建物は資料として現存しています。





次に、「監房」と呼ばれる懲罰房の跡地を案内して頂きました。

現在は、改築等で埋め立てられてしまい、外壁の一部しか残っていませんが、大正5年に、療養所内の秩序維持を目的として懲戒検束権が与えられ、これにより、逃亡や職員に対する暴言暴力、賭博行為などを行った入所者に謹慎、収監が行われました。中でも逃走で監房に入れられる人が最も多く、懲戒権が園長にあった為に、何の裁判も行われることなく、収監されたそうです。

また、監房に収監されると、食事は1日2食で、1食におにぎり1つと沢庵2切れ、コップ半分の水だけでひもじい思いをしたそうです。





最後に、島内の一番高台にある「万霊山 納骨堂」を案内して頂きました。

長島愛生園では、これまで園内で無くなられた方は3,400名以上にのぼり、こちらの納骨堂に合祀されています。当時、ハンセン病に対する差別は患者本人だけでなく、その家族にまで及び、遺骨すら故郷に帰れなかったそうです。

入所者の中には、自ら命を絶たれる方も大勢いらっしゃいました。





一通り、島内を案内して頂いた後、金さんのご自宅で、お昼をご一緒させて頂きました。

「なんでも遠慮なく聞いてください」と、1時間以上に渡りお話を聞かせて頂きました。





資料館で島内の模型を見た際に、精神科棟があったので、当時のお話を聞かせて頂きましたが、ハンセン病と言うだけで強制的に隔離されていたのですから、精神科棟はさらに悲惨な状況だったそうです。

鉄格子の暗くて小さな部屋に施錠された上、薬物療法などの治療と言うものは全くなく、暴れたり騒ぐ患者には暴力も振るわれていたそうです。





1953年にらい病予防法が改定されましたが、その当時すでに医学的にハンセン病の治療法も確立され、国際的にはハンセン病患者の隔離は否定、欧米では通院治療があたりまえでしたが、強制隔離、強制消毒、外出禁止の条文はそのまま継続されました。そして1996年のらい病予防法の廃止までは、強制隔離政策は続きました。





金さんのお部屋にお邪魔した時に、壁に一枚の書が飾られているのが目に留まりました。



「義を見て為さざるは勇無きなり」



こうするのが正しいことと知っておきながら

それを実行しないのは勇気のない臆病者である。





論語の一説ですが、今日はこの言葉が深く胸に突き刺さりました。



ハンセン病患者に対する強制隔離は、らい病予防法と言う法律に従い長きに渡り取られてきた政策です。

しかし、戦後すぐに隔離の必要性がない事は証明されており、世界的に見ても非人道的な処遇である事は一目瞭然であったはずです。

しかし、ここまで長い期間、この法律が存在し続けた理由には「義を見て為さざる」人間が少なからず居たからだと思います。



看護師として、どのような状況であっても、この「義を見て為さざるは勇無きなり」と言う言葉を忘れてはいけないと感じました。

確かに法律は遵守すべきです。守るためにあるものです。

しかし、その法律がすべて正しいとは限らないことは、この話からも分かると思います。





最後に金さんは、自身の体験から、医療者に求める事を語ってくれました。





「患者である、病気であるから可哀想だとか、同情と言う感情は優しさから出るものかもしれないが、それは決して同じ目線で物事を考えてはいない。

治療を受ける権利というのは誰しも平等で、当然の事であり、患者と医療者は対等であるべきだ。」と。







医療者として、何が正しいことか、患者にとって正しいこととは何かを、常に見極める事が必要だと教えられた思いです。





最後になりましたが、今回の案内を快く引き受けて下さった金泰九さんに心よりお礼申し上げます。



NPO法人泉州精神看護研究会

中尾 公一

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