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改革によって失うもの

投稿日:2006/08/17

改革の際に失うもの

漠然と始まったタイトルであるが、まず初めに一応の定義を定めておきたい。
ここでの“改革”は“病院改革”のことと定義して話を進めることにする。


病院改革といっても色々な状況をイメージするだろうが、全ての状況をイメージしてもらっても良いと思う。

①、病院の再建築
②、経営陣の刷新
③、看護体制の再構築
④、病院経営の再建

他にも色々なものがあるだろうが、特に病院改革となると大まかにこれらのことが絡んでくるのではないだろうか(②と④は、特殊なケースとして置いておくとしよう。)。
ひとまずブームはすぎたが、①、の建物自体の建て替えに伴って③、の看護体制を初めとした、日本医療機能評価機構に準じた各委員会・新記録方式の導入。

①や③を取り組むとき、重要な事を忘れている経営者が多い。“忘れている”というよりも、“あえて軽視している”のかもしれない。そういう経営者は、いつか一気に崩れ去る。私は、そう確信を持つ。

その重要な事とは、

※『病院職員の忠誠心』

である。私のようなブログに眼を通す経営者はいないだろうが、もしこれを見ると鼻で笑うかもしれない。だが、私には自身がある。私の過去に知っている経営者のカリスマ性と別の数箇所の病院の経営者とのその差は歴然。科などの状況は違えど、かならず追い抜かれるであろう。

経営者は、下のものの評価を気にしないようにしているものも多いし、実際私もその意見には賛同する。しかし、評価は実在するのであるから、その評価を放置するも手を加えるも経営者次第なのである。手の加え方は、その手腕に任せるが、あえて放置するというのも一つの手の加え方なのかもしれない。

一番致命的なのは、

※下のものの評価や忠誠心を知ろうとしない、もっと最悪なケースは下のもののそれの存在すら忘れている経営者である。


また、病院改革に伴って、負の遺産も沢山出るという現象にも注目したい。
改革についてゆけず辞めてゆくもの、そして特に精神科では、今まで仕事や患者に対しての話し合いやカンファレンスが十分でなかった為、それに伴ってスタッフ双方のコミュニケーション障害が生じる。

これが、一時的であるという見方もあるが、私の見解は違う。新しい問題に対して意見交換がうまく出来ないという障害によって、人間関係が希薄になってしまうのである。改革についてゆけず辞めてゆくものもその希薄材料の一つであると考える。また、新しい体制に希望を持って自分の力を試そうと改革された病院に来るものもいるが、そのような人間に限って、プライドが高い。そうして入ってきた人間も尚病院の希薄さに拍車をかけ、業務も企業的となってしまう。いわゆる、チーム医療の崩壊である。

一通り大きな改革が済んだ病院を見渡してほしい、人員の回転率、人間関係は改革前とどう変わったか。経営陣は、そこに眼が行き届いていないのが現状だ。仮に看護部がそれに気付いても収拾がつかない状況も見受けられる。いずれにせよ、これから改革を行う病院には、スタッフの結束性というものを意識して取り組んでいくことが最重要課題で、それが成功への道であると私は考えている。


※経営者が病院改革に着手する際は、改革の内容のみを一番にするのではなく、医療・看護チーム一人一人の“心”を軽視しない事である

最後までご閲覧いただきありがとうございます。拙著本「精神科看護師、謀反」も看護の参考にしていただければ幸いです。