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日本の看護改革
今、ニュースで取り沙汰されているJALの内紛問題をご存知だろうか。世間は、堀江被告のメール問題で国会の紛糾を面白そうに報道しているが、それよりも気になったのがこのJAL内紛問題だ。
内容は、現場軽視とされる社長ら三名を役員4名が退任要求をしたというもの。経営刷新を求めた動きで、当初は数十人だった署名は数百名にまで及んだ。今現在の最新のニュースでは、一部副社長退任、社長は留任との方針とのこと。これは、見方によれば
※クーデータである
と評論する者もいる。このところJALは、安全管理などで色々と問題が続いた。その影響と原油高も加わり、経営不振を招いた。そこに今まで不満を抱いていた役員4名が一気に行動を起こしたと見られる。
ここで、看護問題に絡めて考えてみたい。看護は、直接命を預かるという職業であるゆえストライキができない。そして、株式会社でないがゆえに、JAL内紛問題のような署名活動も難しい。個人病院となればなおのことである。日本には日本国憲法に定められている労働三権(団体交渉権・団体行動権・団結権)などがあり、組合活動も認められているが、それが活かされていないのが看護を含む、医療関係の組織である。もちろん、これらが単純に行動に移されては、安定した医療というものを受けることができない。私自身も、それを勧めるわけでもないしそのような容認するわけでもない。しかし、問題はそこには無く、組合がない個人病院も多い中、労働三権を有効活用している、もしくは理解している看護師がどれほどいるかということだ。中には、組合がある病院もあるが、医療関係の日本のその殆どは御用組合である。これは、私が体験した中からの感想も含むが、精神科医療を中心とした労働組合組織の存在も、果たして労働者側に立てているかも疑問を感じるのである。
こういう状況の中、労働問題が起こっても“長い物には巻かれよ”とばかりにその組織の色に染まり、自分の看護観を低めてまで働いている人間が大半を占めるているのではないだろうか。主張しようものなら、色々な角度から見えない圧力がかかり、泣き寝入りをしてきた人間も少なからずいるだろう。それが、今の医療業界を大きく後退させているのだと私は思う。そこには、利権問題も深く関わっているだろうが、今はそれを探り・追求し・正すという段階ではない。
看護師の環境がJALのように恵まれていないことはこれまでに述べたとおりだが、少なくともJAL内紛を起こした役員4名のように志の高い人間はどれほどいるものかと興味をもつ。医療全体もそうだが、看護そのものすらまとまりがない現状、少なくとも今よりもまとまった方向へ動こうとする者が現れないだろうか。
航空会社のように単純な組織構造ではないため、そう簡単にはいかないだろうが、何か行動を起こす時期に来ていると私は思う。
最近ブログがはやり、個々の意見を述べるのもすばらしいことだが、残念ながらそこまでにとどまっている。いや、それ以上行動を起こせないのが看護業界なのだろう。
私のように、精神科看護に関する本「精神科看護師、謀反」を出版しただけでも圧力がかかるのだから、本気で改革をするとなると命がけとなろう。
日本の看護を改革するどころか、一つの病院すら変えることができないこの社会構造に対してどういう形でか“メス”を入れていく必要があると思っている。
私は、今回の出版に当たり想定外の誤算はあったが、今回の事は、メスを入れるための布石と位置づけたい。もちろん、それに続く今後のビジョンはこの頭の中にたんまりとある。