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「障害者」と「障がい者」~言葉のみにとらわれる社会が日本の文化を失くす~

投稿日:2006/08/27

障がい者

最近、広まりつつあるこの表現。医療関係者などの団体では当たり前のように使う。理由はこうだ。

『障害者の"害"の字が不快感を与えて好ましくない。また、一般的に「障がい者」の"害"の字には「悪くすること」「わざわい」などの否定的な意味があり、「障害」は本人の意思でない生来のものや、病気・事故などに起因するものであることから、その人を表すときに"害"を用いることは人権尊重の観点からも好ましくはない。』との理由。

この風潮は、平成13年多摩市議会に始まった。今では、これが世間に認知されたのか、さらに幅を効かせている。

これは、果たして地方公共団体が決めてまでする問題なのだろうか。日本語を変えてまでする問題なのだろうか。私からすれば、これは都合のよい一方的な解釈に過ぎない。色々調べているうちに、私の解釈と近いものがあったのでそれをやや読みやすくして転用する。以下
『言葉の表面だけを改めても根本的な問題解決には役に立たない。「がい」とはどう云ふ意味かと聞かれると「害」と説明するしかない。何でも易しく書き改める今の風潮は、言葉自體の命を奪ふ恐れがある。ちなみに「障害」は、正しくは「障礙(碍)」と書く。「障礙」の「礙」は「礙子」の「礙」と同じ。礙は「さまたげる」「へだてる」「ささへる」の意。もつとも、「障礙者」自體が「片端(かたわ)」の言換へなので、話は實にややこしい。片端→障礙者→障害者→障がい者……何囘言換へれば氣が濟むのか。勿論、永遠に濟まない。
もともとは「片端」の言替へが「障碍者」であり、その言替へが「障害者」であり、それが「障がい者」にまたもや言替へられると云ふのだから、恐らく近いうちに、再び何らかの用語に言替へられるでせう。今度は「障」の字に言ひがかりがつくに違ひない、と推測する』

少し読みにくいが、要は言葉の表面だけを弄ってもなんら人権問題の回避にはならないという事だ。私も、拙著「精神科看護師、謀反」にも同じような事には触れているのだが、人権問題関係者もいい加減に気付くべきだ。いや、気付いているのだろうが、表面の鍍金で彩るのが好きなのだろう。また、医療関係者も何も考えず、無難に「障がい者」と表記して使用している辺りが非常に情けない。

これだけでは、コメントが沢山来ると考えられるのでさらに詳しく説明しておく。

多摩市の「障がい者」とした理由を考えると、もちろん「障」の文字にも問題が出てくる。「害」が「悪くすること」「わざわい」などの否定的な意味として解釈するのであれば、同様に「障」の文字も「障る」とみるなら、「差し支える」と解釈でき、不適切な使用となる。そうなると、「被害者」や「加害者」という言葉も無理に理屈付けして「がい」とさせるには、もはや屁理屈でどうにでもなる。

だが私の実際の解釈はこうである。
仮に「害」という文字を「悪くする事」「わざわい」という解釈であったとしても、それがなぜ人権尊重の観点から好ましくないのかまったく“謎”である。多摩市の解釈を一つずつ紐解くと、
>『障害者の"害"の字が不快感を与えて好ましくない。』
①これは、完全に一部の人間が美談化した“感覚のみ”によるもので、なんら不快感を表す根拠はない。
>一般的に「障がい者」の"害"の字には「悪くすること」「わざわい」などの否定的な意味があり、「障害」は本人の意思でない生来のものや、病気・事故などに起因するものであることから、その人を表すときに"害"を用いることは人権尊重の観点からも好ましくはない。』
②これも、あくまでも一般的な使用方法がそうであるだけであり、「悪くする事」「わざわい」という解釈があるとしても、それは障害者の存在そのものに当てた意味ではないので、なんら人権尊重の観点から問題となる点はない。

もし、多摩市の解釈をそのまま受け入れるとしても、逆に「障害者」という言葉一つにこだわって、他の問題となる言葉を放置している事のほうが人権尊重の観点から、問題である。ところが、そのまま本当に言葉を弄くりだすと日本語は壊滅してしまう。日本の文化そのものが崩壊してしまうのである。

この言葉の文化についても、前回の記事「失禁」についてのコメント欄で触れた話題を転用して説明したい。

「ばかちょんカメラ」という表現。

「これは、朝鮮人をばかにする言葉だから使ってはいけない!」
という意見がある。
しかし、冷静に考えてみてほしい。“ちょん”という言葉自体は、古くは江戸時代以前からある言葉。
その時代から

「ばかだのちょんだののろまだの」

という言葉があるくらいだ。この“ちょん”という言葉は、「おろか」という意味を指す日本古来の言葉で朝鮮人とはなんら関わりのない言葉。朝鮮人が差別されるようになったのは、1910前後日韓併合があった頃からではないだろうか。そう考えると、日本古来の歴史ある日本語を抹殺するという事になってしまう。ただ、
「ばかちょんカメラ」
を朝鮮人にたとえた意味で使用していたのなら、それは最低の言葉遣い。つまりは、言葉そのものの問題ではない。使っている人間がどのような意味を込めてい使用するかであって、いくら日本語を検閲しても差別語は消える事はない。

「障害者」という言葉を「障がい者」にして、満足している団体の気が知れず。できれば自主的に、他の言葉もひらがなにするか、違う言葉で表現するように、それこそ「言葉リスト」を作ればよい。ここまでくると、もはや完全なる偽善集団である。

最後までご閲覧いただきありがとうございます。拙著本「精神科看護師、謀反」も看護の参考にしていただければ幸いです。