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男性力と女性力

投稿日:2006/04/29

 男性と女性というものは、性差別云々関係なく確実に性質の異なった生き物である。細かい部分などに良く気付くという能力も平均して女性のほうが優れている。これは、某大学の実験でも立証されている話である。
 昔は、医師は男・看護婦は女性と決まりきった形があったが、昨今その傾向もやや緩和されつつある。何故今になって男女比にそのような動きが見られるようになったのか。一つは、世論の活発化。特にフェミニズム的平等主義が影響したのではないだろうか。看護婦という呼称を看護師に変えたといわれる南野氏(元法務省大臣)であるが、まったくの無意味さを感じざるを得ない。職業として男女別になっていることが、差別というのか。もしそうでないというのであれば、看護「師」と統一した理由は何なのだろうか。
 看護師と呼称を統一しても、箱を開ければ、もちろん男性と女性の看護師がいる。以下

「男性の看護師さんを呼んでください。」
「女性の看護師を呼んでください。」
これらは、最近よく聞く言葉である。表面上で看護婦という呼称が何らかの偏見であるというなら、上記の呼び方もタブー視されるべきである。
もちろん私は、看護婦・看護士と呼ぶほうが大歓迎である。なぜならば、

※根本的に、違う性質・能力をもつ人間だからである。

わたしは、これを「男性力と女性力」と呼ぶ。

それぞれ、男性と女性の能力の違いを共有・理解し合いそれぞれが尊重しあう。そして、お互いの力を発揮しあうことこそが本当の平等というものではないだろうか。
◎男性は、細かい変化に気付きにくいが、細かい作業能力に長ける。
◎女性は、細かい変化に気付きやすいが、細かい作業能力に欠ける。

こう考えると、フェミニズム的平等主義が世論化する以前の
「医師は男性が・看護師は女性が」という図式は能力別に分かれていた自然なものだと理解できる。だが、この説明だけでは、過去に女性が軽視されてきた結果が、上記図式を生んだのだと主張する者もいるかもしれない。しかし、それこそが能力の違いの末に“生みでた結果”なのだ。
この考えは、決して女子を社会から家屋へ追いやる為の理論ではない。それを理解したうえで、女性が社会進出をするべきであるということである。
 男性看護師が増えたといっても、精神科を除いては、未だ女性看護師が多数を占める。私は、是非その看護婦社会に男性が沢山飛び込んでいってほしいと願う。お互いの能力を尊重しあえば、看護であっても医師であってもそれぞれが補い合い、質の高い医療チームが出来上がる。そして、今の女性看護師は、男性という人間の性質を十分理解するように心がけ、自分自身がどのようであるのかを客観視してみることが非常に重要である。逆に男性は、自らの劣っている観察力などを補うよう努力し、冷静に自らの鋭い分析力を十分に発揮していくべきなのである。つまり、

 ※感情的になりやすいといわれる女性は、自ら振り返ること。
 ※観察力に欠ける男性は、如何に女性的看護師に近づけることができるか。

ここを突き詰めていってほしい。特に今の看護界は、この「男性力と女性力」の理解に欠けている。抜本的な改革を起こすことができるのも、それぞれの職場にあるそれぞれの「男性力と女性力」であるということを心の片隅において、日々の看護に取り組んで言ってほしい。

最後までご閲覧いただきありがとうございます。ここで宣伝。私の書いた本「精神科看護師、謀反」も一人5冊ずつ買うべし。
面白くなかったらごめんね。よろしく。