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5年前の出来事
きょう、ひとつ大きな出来事がありましたが、ここで載せると対応が余計に大変になるので後日掲載します。いわゆるサプライズってやつですが・・・・。また今度ね。 今日は、もうすぐ5年ほどになるんですが、恥を覚悟でその頃の出来事を振り返りたいと思います。
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確か2006年1月
正月早々大変だったのを覚えている。
私にとって大きな出来事だった。
今の自分があるのもあの失敗があったからだと思う。
その2年ほど前から回想してみたい。
当時、私は今よりも知識がなく、今よりも勢いだけの人間で、協調性もなく正しいと思うことはひたすら主張する人間だったように思う。
そんななか、仲良くしてくれるスタッフも大勢いて、もちろん良く思わない人間もいたが、自分なりにやりやすい職場環境だった。
飲んで、朝まで遊んで、でも自分なりに勉強?もして、そこそこ悪さもしたりなんかして??
看護師になって数年。ちょうど一通り基本的なことを学んで自分が一番だと思っているような頃だったのではないだろうか。
朝まで遊んでそのまま仕事に行くなんて言うようなことはしょっちゅう。
今はとてもとても・・・。遊びたいとも思わないし。
当時、自分には尊敬する上司(以下、Aさんとする)がいて、そのAさんは直属からさらに出世して看護のトップに近い位置に。
Aさんが直属の上司の時代はよく飲みに行ったり、悩みを聞いてもらったり。
今よりもメンタルが弱い私は、Aさんがいることで安心して悩みつつも仕事ができた。
Aさんが出世してしばらくも、飲みに連れて行ってくれたり、相談に乗ってくれたりした。
しかし、ある時期から「忙しい」、「また近々、」こんなメールの返事が続いて、なぜかと思っていた。
あまりに、飲みに連れて行ってくれないので、さすがに鈍い私も距離をあけてるのだと感じた。それはそれで仕方ないと思ったが、やはりさみしかった。
でも、私は自分で何とかせねばと思い、日本精神科看護技術協会の学会や、その他の勉強会などに参加。人間関係についても自分なりに悩んだ。
そのころは、自分は後輩に頼られ始めている時期で、なのに自分は相談する人がいない。もちろん、すぐ上の上司などは、私が無理矢理飲みにいくのに引っ張って行ったりもしていたが、今思えば私は相当生意気だったように思う。
仕事でも、
「文句があるならかかってこい。」
傍から見れば
常にそういう状況にみえたのだろう。
よく上司とももめた。納得がいかず、仕事の途中で帰ったこともあった。
でも自分を曲げなかった。人の話を聞かないとよく指摘された。
そんなこんなで、「おかしい!精神科はおかしい!」と漠然と思いながらその頃慰安旅行に行ったのを覚えている。
Aさんと普段話ができない。色々言いたいことは山ほどある。慰安旅行で飲む時間がある。ここで話そう!!この時くらいは時間をとってくれるんじゃないか。
かすかな希望を持って、夜までの時間を楽しんだ。
いよいよ夜。
他の管理職もそろっている。ホテルの部屋で3次会?的状況。
沖縄の旅行でホテルの一室とはいえ、ジーパンに上半身裸。金のネックレスにメダルつき。ダサいにもほどがある。ここでいうのも恥ずかしいが、今、もし先輩を眼の前にそういう奴がいたなら、投げ飛ばしていると思う。
自分を含めて6人ほどで飲んだだろうか。全員管理職だ。中間管理職?は一人だけだったように思う。
酒を飲んで揉めたことはないが、この時は議論が白熱した。私のことをよく思わない他のセクションの上司は、かなりきつく言ってきた。当然だろう。今はそれは恨みにも何もなっていない。しかし、当時は単純に「むかついた」
私は言いかえした。酔っ払っているので、まともなことは言っていないが、後にも先にも酒が入って、いわゆる“キレた???”のはこの時だけだ。
上司が後からかばってくれるという世間知らずの目算で、言い返したのを覚えている。
かなり、揉めた。そのあと、誰もかばってくれないのをみて、
焦りとこの先どうなるのかという不安に襲われた。
私は、引き下がれない状況のまま勢いよく外に出た。
だれも引き留めない。連絡もくれない。
当然なのだが、世間知らずの私は大きな衝撃を受けた。
皆自分を見てくれている。そんな甘い幻想をいただていた世間知らず。
もめた後、行くあてもなく外に出た。
19歳の看護学校時代から世話になっているIさんに泣きながら電話をしたのを覚えている。今聞けば、あの時は翌朝一番で飛行機で迎えに行こうかと覚悟してくれていたという。若いころから私の馬鹿さ加減と気性を知っているIさんには感謝の言葉もない。
そのもめ事の後、
翌日も誰も話しかけてこない。
「旅行なんて楽しくない。すぐ帰りたい。」
素直にそう思った。
本当は昨晩のことを誰かが話に来てくれるんじゃないか、肩を叩いてくれるんじゃないか。そんな微かな希望は完全に崩れ去った。
飛行機に乗る直前の昼ごはん、ステーキハウスに行った。
皆が、調理人のフォークとナイフさばきに「おおおお~~~」といった驚きの声や、
笑い声も。
それらが、私には苦痛以外の何でもなかった。
私は楽しくないのに、周りは楽しいから?
当時はそう思っていたのだと思う。
帰るまで、誰も寄り付かない。Aさんもなんの言葉かけもない。
完全に人間不信だ。
悔しくて泣いた。誰を信じていいのか分からず一晩泣いた。
情けない、つらい・・・
職場に戻って、フォローしてくれるおばちゃん看護師は
「あんた、なんで上司ばっかりのグループに入ったんよ。あほやなぁ」
そんな風にも言われたが、まさにAさんと話をしたかったからだ。
ここまでの経緯が、拙著「精神科看護師、謀反」の冒頭の文章に「慰安旅行で様々な出来事が起こり」と要約した部分である。
ここからすべてが始まった。
親友のひとことで、本を書くことになった。
ほぼ自費出版。
採算度返し。
勉強不足も甚だしい状況で
「日本の精神科を変える!」
そう思った次第である。
今でも、あの時の恥ずかしい行動一つ一つが後悔の連続であるが、その大恥が今の自分の成長につながっていると思うとなんとか耐えられる。
半年以上の時を経て、「精神科看護師、謀反」は発売された。
読み手も長すぎるとしんどいだろう。
本の発売後の反響と、Aさんとの絡みは後日気が向けば書き加えたいと思う。
最後に書き加えるとするならば、
こんな恥ずかしい内容。しかし、ここに書き記して恥を覚悟で自分を振り返ることの意味は大きいし、ここに記そうと思ったのは、一人の尊敬する人が私にその刺激を与えてくれたからだ。
私はクールを装う必要もないし、あるがままにいることが大事なのだと近頃思う。
では、続きは次回に・・・。
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