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医療従事者よ、真の治療者たれ!

投稿日:2006/08/07

先日、京都の帰り電車から降りると妻から一方を受ける。
「おっちゃん亡くなったんやって!」
私の頭の中には疑問符だけが浮かび、そこからしばらく信じられなかった。


私の叔父は、ついこの間、大腸癌の手術をし順調に経過していた。術前にお見舞いに行き、状況と叔父の体を見たところ、今日明日中に死ぬというような状態ではないことは私達看護師が見れば直ぐにわかるほど健康であった。

術後、私の母親がお見舞いに行っていたようであるが、私は多忙を理由に
「順調に回復してるやろ。心配いらんよ」とその叔父に顔をださなかった。今から思えば、行くべきであったと後悔している。


死亡の一方を受け、私は父親と合流、急いで病院へ向かう。叔父の居場所は病室ではなく、既に霊安室へ移されていた。顔を見ると、術前に見た顔とまったく同じ。ふっくらした肉付きに、今にも話し出しそうな表情。

私は、叔父が死亡したとの一方を受けたときから、必ず原因を突き止めなくてはならないと気が張っていた。大腸癌で、手術も順調に終わり急に死亡するなど通常はありえない。主治医と話す時間を持ち、何かの形にしなければと思った。

身内は、皆声をそろえて治療に対して「おかしい」と口を揃える。しかし、専門的知識がなく、医師の説明に納得せざるを得ず、反論も専門的知識にねじ伏せられる。そこで、怒り心頭のもう一人の叔父が私にその依頼(医師と話をし、原因を突き止める)をしてきたという格好である。

私は、使命感に駆られ医師の説明を受けに行った。夜間の詰め所で真剣に聞く、かならずごまかしがあってはならない。その医師に逃げ道を作ってはならない。その思いで、説明を聞いた。カルテのみの説明(ここでは、直ぐにカルテを見せてもらうことが出来た。その主治医が進んで見せてくれた形だが)に、レントゲンフィルム・CTとカルテを照らし合わせて話をするよう要求、医師の前であえてメモを取る格好。血液データも細かく聞き、薬剤の使用についても不適切な部分については、すぐさま指摘し、主治医にプレッシャーを与えた。医師も疲れきっている様子ではあったが、なんとかこの場を打破しようと、状況のみの説明。適切であったとかそうでなかったとかには極力触れないようにしているように感じた。カルテには、想像を絶したであろう叔父の苦しみが、看護記録として如実に表現されていた。悔しくて、その途中で涙が一気に溢れ出し、カルテのコピーを依頼後とありえず、詰め所を後にした。

 私は、叔父の家族と話し合った。まず、医療訴訟を視野に入れて動くのかどうかである。家族も私を頼ってくれている様子で「解剖せなあかん?」と辛そうにする。だが、同時にできれば父親の体は開けたくないと。可愛そうであると。家族であれば誰もが抱く気持ちも聞いた。その上で、私の中で一つの考えが浮かんだ。それは、

※もう一度主治医と話をし、治療に関して謝罪を受け、家族に納得してもらう。

これが、家族にとっても、医師にとってもそして叔父にとっても一番なのではないかと考えたのである。

治療に関して意義を唱えれば、材料はある。しかし、このケースでそれだけのメリットはあるだろうかと考えた。まずは、①家族が納得すること、そして②亡くなった叔父も満足してくれるであろうかということ。最後に、③主治医にもよい結果を与えるべきであろうと私は考えたのである。この考えが最良とすると、方法論として謝罪を受けることが一番であるという判断である。(③については、ブログを読みすすめれば後でわかることなのでここでは触れないようにする。)

 霊安室から、詰所に出向き再度主治医を呼び出す。しかし、既に帰宅したということ。私は、無理にでも連絡が取れないかと看護師に交渉、携帯電話に繋げてもらった。聞けば、遠方に帰ってしまったという。話し合いは、後日であればいつでもいけるし、家族に合わせるという趣旨の会話。しかし、私には時間がない。医師の対応が不適切であるならば、私の考えてる方向に転換を迫られる。つまり、叔父の解剖の段取りなど、したこともない段取りも視野に入れなくなってくるからである。 
 主治医に謝罪を含めた私の意向を伝えた。直ぐに戻ってくることも誠意の一つであろうと・・・。一瞬と惑っていたが、主治医はタクシーで1時間ほどかけて来るとの言葉を口にした。私は待った。どのような流れになるか正直不安であったが、できる限りのことはしたいと必至であった。
 主治医が到着した。外来の一室を借り、私と家族を含めた話をする。

1、術後合併症の症状が第三者の私でもわかった看護記録の記載があるにもかかわらず、全体的な処置が後手に回っていたという事
2、明らかに術後合併症が日に日に増悪しているなかで、鎮痛剤や抗精神病薬でその増悪の原因療法を実施せず、ぎりぎりまで対症療法としてでしか対応していなかったということ
3、二度目の開腹時期が一日半(これはあくまで私の見解)は、遅れていたのではないかということ

大きく分けて、この3点について医師に謝罪を求めた。医師は直ぐには謝罪という形は見せなかったが、否定もしていなかった。というのは、現状適切な処置ができていなかったかもしれないということは、なんとなく認めていたが、主治医本人にもその責任があったという謝罪は見られなかったということである。私は、その形をはっきりするべく、要点をさらに絞り各々の問題点について間違っていたかどうかの返事がほしいと問い詰めた。そして、やっと謝罪の言葉が聞けたのであるが、私に向かっての返答であったので、家族のほうに向いてマスクをはずし伝えるよう話した。そこで、素直に謝罪してくれ、家族も何とか納得してくれたようであった。

これが、一連の経緯であるが、この後私は家族には外に出てもらい、主治医と1対1で話をした。私は、
○人の命を扱っている仕事である以上、人の死に対して鈍感になってもらいたくない
○看護師などは、仕事の上で毎回患者が死ぬたびに落ち込むことを否定する人間もいるが、毎回泣けることは医療従事者としてすばらしいことであること。
○私も、看護師であるが、患者を助けるだけが看護師であるとは思っていない。家族や出会う人々に、できる限りその手を差し伸べるのがその使命であるということ。つまり、主治医であるあなたにも何らかの形で助けたいという事
○私は、真剣に看護師をしている。本やブログを書いているのは、ただ目立ちたいからではないということ。医療を根底から変えたいと思っているということ

等々を懇々と伝えた。


主治医は、緊張の糸が取れたのか
「あぁ・・・・、一日遅かったなーーーーー」
と下を向きながら、大きなため息をついた。

私は、その表情と声を見て安心した。亡くなった叔父のことに対して、一つの手術の材料としてみているのではなく、一人の命として見てもらえていたのだと。それだけに、そのようなショックを受けた表情を、医師という立場を捨て、一人の人間として、反省してくれたのだとわかった。そこから、
・家族のために早く帰ってあげてほしいこと
・家族を大事にしてあげてほしいということ
・私も看護師として失敗してきて落ち込んだことは多々あるということ
・一人の医師として腐った感情を持った医師にならないでほしいということ
等々を伝えた。

このブログでさらに詳細を伝えることは、医師の立場を攻撃することにもなりかねないので、触れるには限界があることは了承してほしいのだが、最後に、

「越智さんは、何故私にそこまでしてくださるんですか」

との嬉しい言葉をいただいた。そこで私は、この記事の冒頭にあげた
③の主治医にもよい結果を与えるべき
と考えていたことの詳細を伝えた。話の大前提として、家族はもとより叔父が誰よりも一番苦しかったことを伝え、

・今回は、結果が良くなかったとい事に加え、私の静かで攻撃的《医療訴訟を考慮した》なアプローチがあり、主治医も最高の苦しみを味わったであろうということ
・私は医療従事者としてそれを助ける義務があること
・今回、あなたを助ける(精神面)というだけではなく医師としてすばらしい人間になってほしいということ

等を伝えた。

今回の叔父の死は、色々と考えさせられることが多く、私も医療従事者として一歩大きくなったように感じた。その主治医には、今回のことをきっかけに一つの問題が済んだからと、そのままもとの医師業務に戻るのではなく、長々と話をしたことを糧にして、医療技術そのものと同時に、医療従事者としての心というものをもっと磨いていって欲しい思うし、私自身、主治医に対してこころからそのことを願っている。

真の医療従事者とはどうあるべきか、治療とは、薬剤を施すことか、手術をすることか?いや違う。患者に対して、仕事としてコミュニケーションを図ればそれでよいのか。それも違うだろう。医療従事者として、自分の手の届く範囲の人間には、全てそれを還元することが本当の医療ではないだろうか。

※医師よ真の治療者たれ!

私は、その医師にその言葉を伝えたい。きっとこれからも良い医師を目指して行ってくれるであろう事を信じて・・・・。

最後までご閲覧いただきありがとうございます。拙著本「精神科看護師、謀反」も看護の参考にしていただければ幸いです。