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家族との大切な時間

投稿日:2006/05/06

 心地よい晴天の下、妻と子どもと何気なく散歩、ボール遊び。これほど当たり前の幸せを感じたことがあっただろうか。振り返ってみれば、ここ半年はこの当たり前の幸せすら実感することができなかった。子どもの甘えた泣き声、妻のたわいな世間話。全てを受け入れる余裕が無かった。昨日一つの事を決心したとき、それを受け入れる余裕ができた。

世間からすれば非常識とも取れる行動かもしれない。

今後の大きな舵取りを迫られるときがきた。専門性を追い求め、外枠から看護全体の矛盾を是正する。これが本来、私の追い求めてきたものかもしれない。

 給与に見合わない過酷な勤務、まだまだ女性の世界。そこに一歩踏み込んだとき、奴隷的な気分にもなった。一生懸命理解しようとした。馴染もうともした。しかし、

何故疑問におもわない。
何故動かない。

 このような疑問だけは、心裏から消える事は無かった。これは、女性が多いが故の問題か。精神科では男性が多いが故の問題もあろう。精神科と他科はこの区別が潜在的にあるとも感じた。一見浅はかな疑問とも取れよう。面白半分に今後の経過を見ていてくれればいい。世間の看護職のあり方は、私の職業看護師としてのあり方とは、あまりにも違いすぎる。一人の力では難しいかもしれないが、ロングスパンでは現実的なビジョンがある。まずは行動を起こす事からはじめなくてはならない。新しいことをするには、最初は何でも批判から始まる。覚悟して動かなければならない。
 まずは家族があっての私。そこに気付いたとき、迷いは無くなった。

精神科

それは私の原点。拙著「精神科看護師、謀反」で私が述べていた専門性のあり方にずれは無かった。日本の精神科を必ず変える。そして、日本の看護を大きく変える。批判していた方々にもいつか理解を得られる日が来ることを信じて私は動き続ける。

最後までご閲覧いただきありがとうございます。ここで宣伝。私の書いた本「精神科看護師、謀反」も一人5冊ずつ買うべし。
面白くなかったらごめんね。よろしく。