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“待つ”という看護

投稿日:2008/04/20

先日、仕事から疲れて帰り、私が「パパ食欲ないわ~」と言ったら、長男と長女が今までにない顔でびっくり。「え!!なんで!!!・・・」と言いしばらく考えた後、「じゃ、後で食べたらいいやん^^」と子供ながらに解決策を探し、私に提示してくれました。忙しさが重なり、確かにストレスはたまっていますが、子供をが私に対してなにか必死に考えている姿をみるとそうは言ってられなくなるし、「もっと守ってやりたい」そういう気持ちが素直に湧いてきます。さて、日常の会話はいいとして、本題へ入りますか・・・

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看護には、いろいろな看護があることは言うまでもないがその中でも忘れがちなのが



※「待つ」という看護。



抗精神病薬の変更で一旦調子が悪くなる場合があるが、抗精神病薬が体になじむまではある程度の時間がかかる。

そこで、少し患者の調子が悪くなると単純に薬の増量を申し出る看護師。それを真に受けて増量する医師・・・。

医師も適確な薬剤変更の目的があれば、看護サイドとコミュニケーションを図り治療の意図を伝え、ある程度の我慢をしてもらえばよいのだが、医師側が治療の意図を明確に伝えないがために看護サイドでは「無謀な処方である」と批判する。
批判が怖い医師はとかく患者を鎮静(過鎮静)させ事態の鎮静を図る。

このような目に見えない暗黙のやり取り、いや、むしろ双方がこのようなことを意識していないにもかかわらず、そういう事態が日々繰り返されている精神科医療の実情は医師・看護師間の根本的な問題であるともいえる。

双方が医療従事者としての意識を持ち、治療に対して堂々とディスカッションできるようにならなければ、抗精神病薬のような複雑なものを、患者に“より的確に”処方されることはほぼありえない。

このような中、医師が治療方針と処方内容に対して“意図”を伝えることができれば、少々の変化があっても我々は薬剤の効果が発言するまで、1日でも多く

※待つ

という心構えができる。

が、医師側に責任転嫁するばかりはいけない。看護サイドもその意図を聞き出し、“医師の意図せぬ精神状態の異常”なのか、また、トランキライザー等のスイッチングなどによる“医師の意図した精神状態の変化”なのかを見分けられるようにならなければならない。


薬剤の適切な発現が見られるまでの

※待つという看護

も、医師・看護師間のコミュニケーションが図れて初めてそのスタート地点に立てるのだということをまず認識してほしい。

待つという看護は、簡単ではない。
ある程度の目安はあっても明確なものがないのだから、昼夜問わず柔軟に判断し対応しなければならないし、頓服薬や医師への報告、環境調整においてまでも・・・である。
場合によっては患者自身に被害が及ぶこともある。つまり、待つという看護も看護師の総合的な能力が求められるものなのである。


今一度、日常の看護の中で

※待つ看護

というものを意識し、実感してみてほしい。
これも看護師に求められる看護技術の一つであるという感触が得られれば、“看護技術とはなんなのか”という解釈について、曇っている視界も少しは開けるかもしれない。







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