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患者への気持ち
看護師の資格をとってしばらくは、患者に対しては
※プロとして誠心誠意かかわる。しかし、そこに情を持ち込む必要もないし、持つつもりもない。
そう思って、看護をしていた。
今回、出版の件で職場を去らなくてはいけない状況になったことは、このブログをご覧になっている方ならご存知のことだろう。病院の立場からすれば、私は有害無益の存在。退職する為に詰め所の荷物整理や、今まで病棟にお世話になった気持ちを伝えようと病棟に上がるだけでも事務所を通さなければ階上に上がらせてもらえなくなっていた。
私は、自分の正当性を貫こうと周囲を見ず、それまで、病院との対決姿勢を強調していたのだが、心も体もその対決姿勢から身を引いた時に、ふと思い浮かんだことがあった。
※患者のことである
仕事は、忙しかった。毎日の同じ光景に飽きたこともあった。しかし、患者とくだらない冗談を言い合っているときほど、楽しいときはなかった。少し病気をして休んでも「しばらく休んでたけど、大丈夫なんか?」とか「体いけるのー?もぅ、心配したわー」など、声をかけてくれる。そんなたわいもない日常が、もう目の前に現れないとなると、涙が止まらなくなる。
正直、患者にも最後の挨拶くらいしたかった。いや、するつもりでいた。病院側に止められても、最後の挨拶は意地でもするつもりでいた。だが、直前でよく考えてみれば、お別れの挨拶で言い方を間違えれば患者の精神状態に悪く影響する。看護師としてそれはできない。そう思うと、やはり無理はできなかった。
つらい。とてもつらい。突然仕事に来なくなった形で消えていくのはつらい。日常がこれだけ自分に必要だったのかと思うと、辛くて辛くてたまらない。
私は、いつしか数年前の看護に対する姿勢とは正反対に変わっていたのに気づいた。
※看護師として関わるためには、そしてプロとして関わるためには、表面上だけの誠意では自分の気持ちなど伝わらない。患者の気持ちもわかり得ない。
こうして自然に大事なことを、この私の体と心に叩き込んでくれていた患者には感謝しなければならない。
先日、お礼奉公返金の件で職場に行ったとき、受付口で患者の家族とばったり出会った。色々話をしてお別れの挨拶ができた。お礼奉公の件で話をするために待っていた幹部は、「時間は守れよ」と怒り心頭だったが、その怒りを見るのもいたずら気分に楽しかった。なにより、最後に家族さんに会えたことが嬉しかったのだ。
月曜日が私の正式な退職の日。
色々あったが、感謝の気持ちはどこで働こうと持ち続けたいと思う。正直、すっきりした退職ではなかったが、病院にもお世話になった。馴染み深いあの光景もみられなくなると思うと寂しい。18歳のときから色々と学ばせてもらったあの環境を一生忘れない。
ありがとう。
鼻がずるずるになったので寝ます。おやすみ。